僕等がいたが遂に完結した。(連載はもう終わってたけど)

中学生のころに流行っていた、なんとも普通の漫画だったのだけど、うまいこと作者が年月をかけて連載してくれやがったお陰で、私にとって感慨深い作品になってしまった。
本当は、もっとサブカルっぽい意味の分かりづらい漫画とか、名作といわれるような漫画について感想を漏らしたほうがイケてるのだとは思うけど、僕等がいたなんて俗っぽいものに心を揺さぶられる自分が正直なところの自分なのだろうなあと思った。

この漫画を読み始めたころの私はまだ13歳かそこいらで、発育の遅かった私は、なんとまだ生理さえ知らない程のがきんちょだった。

あれから十年。
漫画の登場人物はもちろん、作者も相当迷走していたように思う。そしてそれは私も同じで、この十年には本当に色々なことを経験した。

その中でも、嫌な思い出ばかりが目立って、まるで辛いことばかりで、自分ももう取り返しのつかないくらいひんまがってしまって、もうどうしようもないなーなんて、思うことさえなく思うようになった。

でもそれはちょっと違うんじゃないかな、と、この漫画の完結を読んで感じることができた。
なぜなら、私は結局、十年前に好きだったものをまだ好きだったから。


頼りない自分の生活に、来る日も来る日も、止まり木を捜すような生き方をして、ちぐはぐな姿になって、すっかり変わり果ててしまった気がしていたけども、そうじゃないのかもしれない。
ただ、膨大な数の生活に触れ過ぎて、混乱していただけで、私はなにも変わってない。

私が見てきたものは、あくまで見たものであって私じゃない。

そしてそれを見るという選択をしてきたのは、昔から変わらない私だった。


要領の悪い上に努力の苦手な私は、同じ世代のみんなに比べたらそりゃもう酷い生活をしているけども、自分なりには最近の生活はここ数年で一番というくらいに上向いてきてる。

びっくりするくらい、穏やかな気持ちも続いてる。

こんな風に安らかな気持ちになる為に、これまでの良くない出来事が起こってきたならそれでもいいかなって思うくらい。
それに伴って、ずっと連れ添ってきた憎悪に満ちた思い出まで、なんとなく柔らかいものに昇華できるようになってきた。

あともう少し時間が要る気もするけど、現在は何かすごく大切な時期な気がする。

かといって、いつもみたいに躁になって燃え尽きるのではなくて、今度はじっくりゆっくり先に進めたらと思う。

こんな穏やかな気持ちになったことは滅多にないので、この先の自分の為にも、日付も良いので文章に残してみた。

今ならなんとなく、山本さんの言ってた、過去を思い出に変えて手放すってことの方法が解る気がするし、その過去をこの漫画の連載期間中に作ってしまったことがとても滑稽だなと思う。


ほんとうに、どうしようもないね。

でももうしばらく浮足立たせて!

久々に韓国人の友人達と連絡をとった。
みんな私が日本に帰ってきたあとも半年くらいカナダやらヨーロッパをふらふらしていて、確か全員結構いい歳だったはずなんだけど、お国に帰ってからも結局なんかの学校に通っているらしくのんびりしていた。
この人たち、本当に奔放。

そしてそんな彼女たちを見て、ほっと安心した。
なにも自分がまだだらだらと怠けていたいからとかそういうわけではない。

ただ、色んな日々の送り方があるんだなという当たり前の事を思い出せた。

自分に普段観えている世界ほど、信用できないものはないと思う。

だってそれは自分が知り得る最大の世界であって、世の中全体からしてみればかなり小さい世界だから。(私の場合)

自分の世界観は自分の限界とも言えるので、絶対にそんなものを信用してはいけない。

頻繁に色々なところにちょっかいをかけて世界を壊さないと。
精神的にホームレスでありつづけたいなあと思った。

どこにも帰化し得ない事がいまのところの、私の安堵。
いい春が来ますように。遂に迎える五年生。

久々に韓国人の友人達と連絡をとった。
みんな私が日本に帰ってきたあとも半年くらいカナダやらヨーロッパをふらふらしていて、確か全員結構いい歳だったはずなんだけど、お国に帰ってからも結局なんかの学校に通っているらしくのんびりしていた。
この人たち、本当に奔放。

そしてそんな彼女たちを見て、ほっと安心した。
なにも自分がまだだらだらと怠けていたいからとかそういうわけではない。

ただ、色んな日々の送り方があるんだなという当たり前の事を思い出せた。

自分に普段観えている世界ほど、信用できないものはないと思う。

だってそれは自分が知り得る最大の世界であって、世の中全体からしてみればかなり小さい世界だから。(私の場合)

自分の世界観は自分の限界とも言えるので、絶対にそんなものを信用してはいけない。

頻繁に色々なところにちょっかいをかけて世界を壊さないと。
精神的にホームレスでありつづけたいなあと思った。

どこにも帰化し得ない事がいまのところの、私の安堵。
いい春が来ますように。遂に迎える五年生。

音楽がわからない

今朝、TVでテクノポップ特集をしていて、電気グルーヴを聞きたくなったので今聴いている。

新しい音楽を探したり、追いかけたりするのはめんどくさいので嫌いだし、楽器を弾いたり音を作ったりするのも難しくて嫌いなので、人に音楽を教えてもらって、貸してもらって聴いてきた結果、買ってもいいかなと思ってCDを少し買ってみたりしたものに、電気グルーヴと、小山田圭吾系のものと、フィッシュマンズがある。

昔は渋谷に行くたびに何故か体調を崩した。

渋谷には本当にいろんな人がいていろんなものがある。
渋谷系と言われた音楽を聴いていると、なんだか気が遠くなる。
渋谷を歩いていても、なんだか気が遠くなる。
いろんなものがありすぎて、なんでもなくなっている。
だから尚更気が遠くなる。

今日みたいに、寒くてよく晴れた日の昼間は、きったないラブホテルに行くのに絶好の日和だと思う。
渋谷の坂とか路地はそんなシチュエーションに似てる。

本当に雑多で汚いものは夜よりも何よりも真昼間がいい。
秘部をライトで照らして見ているみたいで、具合が悪くなる。それに慣れれば、楽しくなる。

そういうわけで今は渋谷に来ても吐き気がしなくなったのかなあ。

母に、「最近の若い子は、ラブホテルに行く前に二人でポールダンスを観にいって気分を高めたりしないの?」と聴かれた。

テレビで由紀さおりの特集をしていて、私が、たまにはこういうのを観に行くのも素敵かな、と言ったときの母の返しがこれだ。

久々にギクリとした。
何故かというと、母の提示した状況がこれまで生きてきた中で全く選択肢に入って来なかったものだったから。

私は素直に、そんな話は聞かない。わたしもそんなことをしたことがないからわからない。と、答えた。

それから、もしかしたら世間の若者はラブホテルに行く前にカップルでポールダンスを鑑賞したり、そういった楽しみを持っているのかもしれない、それを知らないのはわたしだけだったのかもしれない、といった恐怖がつきまとっている。

それで実際どうなんでしょう、いまどきの若い皆さん。
因みに、「ポールダンス 東京」でググったらポールダンス教室ばかり出てきた。最近ポールダンスダイエットが流行ってるらしい。
これも知らなかった。

まじょっ子

昨日テストを受けに学校に行ったら、隣に座っていた二人組の男の子うちの片方が、俺春休みに東北にいくかも。と言っていた。友達は、今行っても殆ど片付いていて面白くないよ、相当酷かった所に行かないと。と、返していた。

私は被災地に行ってない。
去年の夏は長くて、就活をしない理由を真っ当にするためフィリピンに行った。

大きい国で大きい車に乗って毎日大きい肉をたべている人は、ミンダナオみたいに小さい街にくると何も考えなくなってしまうから気をつけたほうがいいと、悲しき熱帯という本に出てくるフィリピン人のおばさんが言ってた。

私は頭を使うこともなく、英語の授業に出て、宿題を解いて、夜は日本じゃしないやうな方法で飾り立てて遊びにいき、フィリピンや韓国の男と寝ていた。


この世で最もわかりやすい人生のガイドラインのひとつは、マジョリティだと思う。
冒頭の男の子は、何も間違ってない。寧ろ立派なんだろうと思う。

マジョは凄いし強いし怖い。
万が一大地震がきて、本当に日本が小さい小さい国になったなら。

恋に落ちて

小さい頃好きだったものは、街中の至る所に貼られた赤いマルフクの看板や、電柱ウラにひっそりと存在するバイ@グラの貼り紙。
小中学生になりラブホテルの佇まいに惹かれ、高校にあがってからは、「鳥の餌」の広告の怪しさに惹かれた。

こういう、物質が普遍的でありながら、特定の人間にとってのみ非常な意味とメッセージ性を持つものが好きで好きでしようがなかったのだけど、昨日テレビで観た、ケイマン諸島にあるペーパーカンパニー用の大量の私書箱には、久々に心踊った。これはヤバい!未だに想い出してはドキドキしている。恋だ。

同性愛に寛容になることが少子化を促進するだなんて思う人がいることが本当にこわい。性に関するトピックが真に市民権を得れば、同性愛だろうが異性愛だろうが関係なく家庭を持てると思う。男女だけが夫婦になり得て夫婦だけが子を持ち得てその条件を満たす集合体だけ家族になりうるだなんておかしい。こんなこという人に限って、高い犬を飼って家族ですとか言ってるから困る。